懐かしきボ日々

日々の雑感を綴るブログ。今の所、ボードゲームを楽しんでいた日々の回顧。

『五味太郎 どうぶつメモリーカード』を遊んでみた

 先週は休日が多く、しかしコロナウイルスの影響を考え外出はせず、LINEやズームで友人らとボードゲーム雑談に興じていた。しかしタルヲシル破産の話題はほとんどなかった。ニュース記事以外の情報が少なすぎるのと、そもそも倒産は時間の問題だったからだと思う。

 それはともかくとして、ブログを読んだ友人らは口をそろえて「次はゲートルーラーについて書いてくれ」というのだが、あれは現在進行形なのでパスさせていただく。細かな炎上ポイントが多いわりに、火元は一つなので、そのうちしかるべき着地点に収束するのではないかと思う。もっと本質的な問題として、そもそも私はゲートルーラーに手を出していないので、評価しにくい気持ちがある。

 

 どうにも最近つれつれと思うに、ボードゲーム愛好家の中で少数だが目立つ人々が得てして、物事の解決に対して短絡的な手段に訴える傾向があるような気がする。ボードゲームにおいては、少人数でプレイし、ルール内でのプレイが要求され、長考は嫌われる。ごく一部のボードゲーム愛好家は、それを現実社会の処世術として使用しているのではないだろうか。しかしながら現実社会では、一つのことを数時間・数日・数か月・数年かけて考え続けることは多く、ルールの隙を突くプレイが場合によっては尊ばれ、それどころかルール(法律)の守備範囲はとてつもなく広く、明文化されていないルール(倫理・道徳・慣習・常識など)はさらに広く、またプレイ人数も限りなく多い。つまり現実社会はボードゲームの数億倍は複雑なのだから、プレイの際にはじっくりと考えなくてはいけないのだが…一部のボードゲーム愛好家はどうにも、「ぱっと思いついた名案」に飛びついてしまうようだ。そしてそれは名案ではなく、むしろ着火点である場合が少なくなく…

 

 

 さて、話は変わって、妻がカードゲームを買ってきた。『五味太郎 どうぶつメモリーカード』である。私へのプレゼント…と言っているが、どう見ても息子に遊ばせるためだ。

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「そんなことないよ。ほら、この子は1歳だけど、解説書には「対象年齢:3歳~」って書いてあるじゃない。だからあなた用なの」

 息子は現在、ようやく物の名前を憶えて指差すくらいになってきているが、さすがにこのカードゲームはプレイできそうにない。したがってまずは私と妻とでテストプレイをしてみた。メモリーカードなので、裏返し、ぐしぐしと混ぜて並べる。各々が2枚ずつめくり、絵柄が揃ったらストックする。

 初回プレイは約30分かかった。私の勝ちだった。約2倍の得点差だった。

 私は「うむ。普通のメモリーカードだなあ」という感想しか抱かなかったが、妻は「トランプより難しいし、疲れる」とのことだった。トランプは同じ数字が4枚あるが、このメモリーカードは同じ柄が2枚しかない。トランプは13組だが、これは33組もある。トランプの神経衰弱しかプレイしたことのない人にとっては、およそ5倍以上の記憶容量が必要とされるため、1プレイでかなりの消耗となるようだ。実際、妻はもう一度遊ぼうとしない。それどころか、たぶん子供とこのカードゲームで遊ぶ係は私になりそうな予感がする。もちろん接待プレイなどしないつもりだが、しかし如何にボードゲーム愛好家とはいえ、子供の記憶力に勝てるのであろうか、との不安がある。

 

 余談…

 このカードゲームを貰って私は「へー。面白いアートワークだね。この〝いつみたろう”というのがイラストレーター?」と言ったら、妻は「ごみたろう、と読むのよ」と笑った。「へ?ゴミ?」と私が聞き返すと、ケタケタと笑い転げた。