懐かしきボ日々

日々の雑感を綴るブログ。今の所、ボードゲームを楽しんでいた日々の回顧。

アークライト訴訟事件後のあゆ屋の動向を調べてみる

 アークライト訴訟事件は、そもそも訴訟の前にあゆ屋による『シャドウハンターズ』のパクり事件があったのだが、アークライト社の訴訟事件にかき消されてしまった。かき消されたとはいえ、あゆ屋にとっても諸々の出来事は大いに拡散されてしまっており、非常に不名誉な出来事だったので、商売としては上がったりだろうと思っていたら、どうやら現在でも活動しているようだ。おもにスリーブの印刷が生業となったようだが、Amazonでも商品を見かけるほどには盛況なようだ。アークライト社もあゆ屋も盛況を極めている傍ら、池田氏が長期にわたり休業となっているのは、世の中の矛盾を感じざるを得ない。

 

 さて、現在でも活動を続けているあゆ屋であるが、決しておとなしく商売にいそしんでいたわけではないようだ。アークライト訴訟事件の後に、検索をかける限り2つ問題を起こしている。

 あゆ屋「真相を知りたければここまで来い、しかし貴様は呪われ巨額の賠償金を支払う事になるであろう」

 アークライト訴訟について疑問を呈した人にウザがらみしている。不可解な日本語で呪いの言葉を発する様は、質問主とって愉快でしかなかったようだ。アークライト訴訟事件の時にも見られたが、どうしてこのように稚拙な日本語を使うのか甚だ疑問である。

 LiPLAY: あゆ屋とのやりとりまとめ
 一方で、こちらの方は金銭的被害が発生している。しかも、またしても東方関連のボードゲームにおいて。
 リーブル氏は50万円の融資をあゆ屋に行いゲームを印刷するも、期限を守られず、商品も手元に届かず、出資金も戻らず、最終的に裁判を行い全面勝訴、あゆ屋から強制執行できるようになったとのこと。またあゆ屋は他の債権も抱えていることが記されている。

 

 どうやらあゆ屋という印刷屋はいろいろと問題を起こす企業のようだ。特にリーブル氏との問題は、アークライト訴訟事件時と似た構図となっている。アークライトの提訴により、あゆ屋のパクリ問題はうやむやとなった。きっちりと断罪されなかったゆえに、調子に乗ってまた同じような問題を起こした、と考えるのは早計であろうか。
 いずれにせよ、ボードゲーム印刷を計画している企業・グループ・個人は、あゆ屋への依頼の際には過去の問題行動を検討に入れた方が良いだろう。消費者個人があゆ屋の商品を購入するか否かは、個々人の判断に拠る所であるが、少なくとも私個人はあゆ屋のスリーブは購入しないだろう(美少女物が印刷してあるものは使う気が起きないことも関係するが)。

ボードゲーム人口を増やすためにはアニメや漫画の原作付きをリリースするのが手っ取り早いのではないか

 先日、アークライト訴訟についての記事を書いた後、ボードゲーム業界を拡大する方法について考えるようになった。会社の地方出身者(のオタクっぽいやつ)と話をしたり、地方の支店の人とZOOM会議の後、それとなく雑談していて気づかされたことであるが、昨今のボードゲームブームは大都市特有の現象らしい。話を聞く限り地方においてボードゲーム愛好家はかなり少なく、ボードゲーム喫茶が存在しない、もしくはあったとしても1,2件という地域も少なくないようだ。それどころか往々にして「そういえば公民館でボードゲームやってる集まりを見たことがありますよ」という答えが返ってくる。
 考えてもみれば無理からぬことであり、ボードゲームが認知されるためには同好の士が集まりあわねばならず、しかし地方では人口が少なく、個々人の物理的距離も遠く交通手段も限られるため、集まりあっての趣味は不可能に近くなるのだ。また、そんな中で集まりあったとしても、久しぶりに集まった仲間なので、近況報告や最近のアニメや漫画の話、あるいは飲み会やカラオケといった選択肢になり、あえてボードゲームをプレイすることはありえないのは目に見えている。
 しかしボードゲームが今以上に普及するためには、地方での活性化が不可欠であろう。首都圏のボードゲーム喫茶は現在コロナ禍により淘汰傾向にあるが、以前は飽和状態にあった。これからボードゲーム喫茶の地方進出が始まる、という時期に、コロナウイルスが襲ったのだ。地方進出は多くのボードゲーム関係者が画策していたことであろう。

 ところで、ボードゲームをプレイしたことのない層への布教は、思ったほど難しい。まずとっかかりがないのだ。ボードゲーム愛好家は斬新なルールやパッケージのアートワークをとかく気にしがちだが、それらは初心者には敷居の高さとなってしまうようだ。とっかかりを作るために、往々にしてボードゲーム愛好家たちは「教育に良い」「頭が良くなる」と説得して、ファミリー層を振り向かせようとする。海外においてはファミリー層がボードゲーム市場の主流らしいので、その着眼点はあながち間違いではないのだろうが、子供が小さなころは家族でボードゲームを楽しみ、ある程度大きくなったら今度は友達同士が集まって…というのはずいぶんと悠長な計画なような気がする。それよりも、アニメや漫画が好きないわゆるオタク層をターゲットにしたボードゲームを開発した方が、手っ取り早いのではないかと思う。
 商品はもちろん、原作付きのゲームだ。人気のあるアニメや漫画をボードゲームにする。カードゲームのようにちまちまと集めてデッキを構築するタイプではなく、一つのパッケージで完結するタイプを。(そう、かつてのエロゲーのパッケージくらいの大きさで)
 50代より上の古参のボードゲーマーと雑談をすると得てして、多くの子どもたちがウォーゲームに興じていた少年時代の思い出話となる。インドアな傾向を持つ男の子は友達の家に集まりあい、ガンダムザブングルなどのロボットアニメ原作のウォーゲームで遊んでいたらしい。ファミコンが発売されるより前の情景ではあるが、現代でも同じ切り口が可能なのではないかと思う。人気のあるアニメや漫画をボードゲーム化すれば、そのファンが集まりあった時におのずと遊ぶようになるのではないか。最近では『ゴブリンスレイヤーTRPG』のヒットがあるが、同じように様々なアニメのボードゲームを作成すれば、おのずと集まりあったファンはボードゲームをプレイするようになるのではないだろうか。

(過去のウォーゲームブームは、それはそれは思い出深いものであったようだ。50代以上のボードゲーマーが複数人集まると、必ずと言っていいほど話題に上り、盛り上がる。「ザブングルは遊びやすかった」「イデオンのバランスの悪さはなんだ」「マクロスの恋愛カードゲームでどうやってもあのキャラが落とせなかった」などなど。ボードゲームがオタクの主要な遊び場だった時代というのは、ほんとうに輝かしい思い出なのであろうし、正直言って羨ましいと思う)

 

 しかし原作付きのボードゲームが普及した場合、今現在のボードゲームマニアとの間で軋轢が生まれるかもしれない。ボードゲーム喫茶やオープン会には暗黙のルールが存在するが、新規参入者にはそうしたもろもろが分からないからだ。「あいつらは原作が好きなのであって、ボードゲームが好なわけじゃない」と愚痴るかもしれない。だがボードゲーム愛好家は新参者を温かく迎える必要があるだろう。裾野が広がれば、新しいゲームがどんどん出てくる。新しい仲間もどんどん増える。愛好家なら愛好家らしく、数限りないボードゲームの中から金の砂粒を自らの経験と勘で探し出せばいいのだ。

 

 いずれにせよコロナ禍が過ぎ去った後の話となるだろうが……

アークライト訴訟事件を振り返る

 世間一般では盆と墓参りなのだが、コロナウイルスの感染を警戒して、我が家は自宅待機となった。赤子がいる家庭では無理のない話であり、ご先祖様も理解してくれるであろう。
 そして部屋の掃除に明け暮れていた。引っ越してかなりの日々が経過するが、子育て家庭での部屋の片づけは遅々として進まないのだ。
 私が自分の本棚を整理しつつ、並んだボードゲームをぼんやりと眺めていると、子供を寝かしつけた妻がカルピスを持って来てくれた。たまたまアークライト製品が目についたので、とめどなくアークライト訴訟事件について語っていたら、妻は「それってギルバート・オサリバンみたいだね」と言った。

 ギルバート・オサリバン - Wikipedia
アローン・アゲイン』はさすがに聞いたことのある有名曲だ。ヒットを飛ばしつつも、訴訟に巻き込まれ、クリエイター魂が大きく削がれたらしい。私には友人に漫画家がいるが、プロット作成に七転八倒の苦しみがあるらしいのだが、その様を眺めると、確かに訴訟でもされたら筆を折らざるを得ないだろうことは理解できる。

 アークライト訴訟事件は、株式会社アークライトが名誉棄損で池田康隆氏を訴え、1年近く後にアークライト社が500万円の損害賠償請求を取り下げる形で終了したが、当時のボードゲーム愛好家たちはこぞってアークライト社の無様さをあざ笑ったものだった。訴訟に至る経緯は不可解で、訴状も不可解、そしてアークライト社の全面撤退という始末だったからだ。
 しかし10年近く経過した今から事件を振り返ると、必ずしも笑えない。和解の後、私たちは池田氏の新作ボードゲームを期待していたが、彼はその後ボードゲーム業界から離れることとなった。一方でアークライト社は、大型イベントであるゲームマーケットを主宰するなど、ボードゲーム業界の中心的企業へと成長した。
 アークライト社が池田氏を訴えた事件はスラップ訴訟であると当時しきりに騒がれたが、スラップ訴訟とはウィキペディアによれば「言論の封圧や威嚇を目的として行われる」とのことであり、10年近く経過した現在の状況を以て考えれば、しかり十分に恫喝目的であった。池田氏ギルバート・オサリバンのように、一度傷のついたクリエイター魂は簡単には回復せず、長い療養期間が必要だったのであろう。一方でアークライト社はボードゲーム雑誌を刊行し、イベントを興し、特定のクリエイターを祭り上げ、ボードゲーム業界の中での地位を固めていった。
 この結果は我々ボードゲーム愛好家にとっては良かったのであろうか。もしもこの訴訟事件が無ければ、池田氏は精力的に新作ボードゲームを発表していたであろうし、ボードゲーム雑誌を再び創刊していたかもしれない。現在はボードゲームを作ったとしてもゲームマーケットでのお披露目以外の発表方法はほぼ無いが、発表媒体が増えればボードゲーム愛好家が増えるばかりではなく、クリエイターも増えたのではないか。しかしそれはおそらくアークライト社の意図するところではなく、ボードゲーム業界をゲームマーケットを中心とする業界へと小さく作り上げることにアークライト社は奔走し、そしてこの訴訟事件はそれに一役買ったのではないか……もしこの訴訟事件が無ければ、我々はもっと広いボードゲーム業界を見ることになったのではないか……と10年近く経過した今、思うようになった。

小山田事件でオリンピック委員会は金銭的には得をするのではないか

 小山田圭吾というミュージシャンが過去のいじめ加害を理由にオリンピック開会式音楽担当を辞任した事件は、たかが数日オリンピック競技が進んだだけにもかかわらず、すでに過去の出来事扱いになっている気がする。

 一般にこの事件は、彼が過去の悪行によって裁かれた、彼に音楽を依頼したオリンピック委員会は間抜け、という認識となっているが、私にはどうにも違和感がある。

 私がふと思うに、オリンピック委員会は彼の過去の行状を知っており、彼の名を発表したとたん炎上することも分かっていて、それでもあえて採用したのではないか。炎上して辞任となれば違約金が発生するであろうし、その責に対してギャラを値切ることもできる。オリンピック委員会はそもそもバッハ会長が積極的に日本国民のヘイトを集めているように、評判などはさらさら気にする気配はなく、ひたすら銭ゲバ臭のみ漂っている。行動原理がすべて自分たちの裏金作りであるような印象しかない。この事件は、外部だけではなく、内部スタッフからも金銭を巻き上げようとしているわけであり、銭ゲバ道ここに極まれりとは脱帽の限りだ。

 

 

 息子とスーパーマーケットに買い物に行った際、動物カードと国旗カードを目に前に並べてみた。すると息子は国旗カードに迷わず手を伸ばし、そのまま掴んで離さなかった。会計の際にも離さなかったので、レジの女性に笑われてしまった。

 国旗というのは幼児にとってマストアイテムのようだ。派手で単純な柄だが、一枚一枚に明確な個性がある。視認性のあるデザインは幼児にとって理解しやすいのだと思う。

 さて、家に帰って広げてみたが、どのようなゲームをすればいいのか分からない。動物カードよりも分からない。私が悩んでいる姿を見て妻が笑っていた。

バッハ会長はヘイトを集めるのが仕事

 赤子のいる家庭におけるテレワークというのは、世間一般ではどのような印象なのであろうか。我が家の場合、パソコンはリビングルームにあり、なぜか子供用椅子がパソコンデスクの隣に配置してある。そして妻は家事をする間は子供用椅子に子供を座らせている。ご丁寧なことに、子供用椅子には机まで備え付けてある。つまり私はテレワークにおいて、我が子と机を並べる同僚となっている。

 我が子は私がパチパチとキーボードを打つ姿を見て笑っている。正確に言うと、どうやら私はエンターキーを押すときにちょっとだけ顔を上げる癖があるらしく、それを見て笑っている。

 ……と思ったら、パパの観察に飽きたらしくブーブー言い出したので、例によって動物カードを手渡してみる。今日はウサギ。ブンブン振り回した後、またブーブーと何かを要求する。ゴリラ。ブンブンブンブン、飽きる。そろそろ動物カードそのものに飽きたようだ。野菜カードを昼休みに買いに行こう。

 

 

 オリンピックにおけるバッハ会長は数々の問題行動を起こして日本人の恨みを買っているが、今日は今日とて原爆の日に黙とうをしないとか言い出したらしい。朝のZOOM会議で広島出身の同僚が怒っていた。

 しかし思うに、このバッハ会長はヘイトを集めるのが仕事なのではないか。ヘイトを集めて攻撃を耐えしのぐタンク役こそが、彼のパーティーでの役割ではないのかと思う。彼が厚顔無恥にヘイトを一身に集めている間、オリンピック主催はせっせと裏金を集め、日本の政治家たちはコロナの失態がごまかされたことに安堵しつつ裏でヤバい活動を行う。ウィンウィンだ。雑魚モンスターたる一般国民は、オリンピック勇者パーティーに襲い掛かるも、鉄壁のヘイトタンクたるバッハ会長の防御を破れない。かくしてオリンピックが過ぎ去った後には、荒野に延々と横たわるモンスターの死骸のみが残される……

 

 

 我が子には国旗カードの方がヒットするか? 高いものではないので両方買おう。

ゲームではないカードについて

 いろいろあってブログの更新ができない日々が続いているが、マイペースで続けようと思う。ボードゲームだけではなく、日記がてら、日々のあれこれも書こうと思う。ボードゲームに接しなくなって久しいし。

 

 

 世間ではオリンピックの話題に事欠かないが、賛否両論どころか、否定意見の方が多いことにさもありなんと思う。さっぱり興味のない私でさえ、グダグダっぷりが聞こえてくるくらいだ。私はオリンピックに関係のない仕事をしているが、警備や建設などの関連企業で働く友人知人から、いろいろなネタ話が伝わってくる。現在は笑いながら会話をしているが、今後、悲劇や怒りに変わる可能性を考えると、心の中では失笑しかできない。

 

 

 我が子はようやく1歳というところなので、当然ながらまだボードゲームを遊べる年齢ではないのだが、最近最も興味がある物は「カード」だ。正確には「小さな紙きれ」といったところか。もちろんそれをゲームに使うのではなく、掴んでブンブン振り回すだけなのだが。

 カードゲームのカードは角が尖っていて固いので、振り回した際に顔に当たりケガをする恐れがあり与えられない。息子が割と好きなのはレシートだ。財布を整理する際に出しておくと、目ざとく見つけて飛びついてくる。私がそばで文庫本を読んでいると、中に入っている新刊案内の紙切れもブンブン振り回す。両者とも楽しんだ挙句くしゃくしゃなって飽きて捨てられる。新聞紙など自分より大きな紙にはなぜか反応しない。というより怖がる。そういえば自分より大きなおもちゃも怖がっている。強いものは恐れるという本能だろう。しかしパパには噛みつく。パパは新聞紙より弱いのか?

 スーパーマーケットに買い物に行ったとき、本のコーナーでカードを見つけた。動物や野菜、国旗などが描かれた子供用のカードだ。試しに動物を買ってみたが、表には動物の写真、裏にはその動物の説明が書いてある。実に勉強になる。名前の当てっこをして遊びましょう、とルールが書いてある。しかし点数配分や勝利条件は明示されていない。

 動物カードは角が丸いので安心して我が子に与えることが出来る。そして我が子はひたすら振り回して遊んでいる。絵柄は気にしていないようだ。こうして物心つく前からカードになじませておけば、カードゲームをいち早く遊ぶようになるのではないかという下心だが、妻の目にはおもちゃを買ってくる優しいパパとして微笑ましいようだ。だが「おおう。ウサギと馬のカードを取ったか。ではパパはライオンだ。食物連鎖最強のカードだ。食っちまうぞ」と楽しく遊んでいると、苦笑した。

長らく

 長らくブログを更新していなかった。これはひとえにプライベートを優先したからだ。

 年度末、コロナ禍にありながら私の転勤が決まったのだ。賃貸契約の更新料を払った矢先の決定だったので、妻が荒れた。ずっと昔、実家の近くの支店への転属願を出したことがあったのだが、なぜか今になってそれが通ったのだ。むろんそれについては妻に内緒にしている。

 妻の実家の近くから私の実家の近くへと移動したわけであるが、妻の機嫌は以前より良くなっている。どういうわけか嫁と姑の仲が良く、妻の実家よりも子供の世話を手伝ってくれるのだ。父に至っては孫にメロメロだ。

 嬉しい誤算がもう一つ。部屋の片づけは妻が行っているのだが、どうやらボードゲームを「おしゃれインテリアアイテム」と思ったらしく、部屋のあちこちに飾っている。アートっぽいパッケージのものをリビングや寝室に、キャラクターが描かれたものは子供用本棚の上の方に、まるで絵画を飾る感覚で並べている。

 むろんウォーゲームなどの強面パッケージは私の部屋の棚だが、それでいい。しまい込むより、家の中のどこにいてもボードゲームが見える方が、よっぽど楽しい生活だ。